MMのひとりごと

とある地方住みオタクの雑記

神州無頼街のことをひたすら考える

ようやく戯曲本を読み終えましたよ!何日かに分けて読むつもりが気づけば寝るのも忘れて1日で読み終わってしまいました。オタク、こういう時の集中力だけはすごい。

戯曲本を読むことによって、舞台を観た時には気づけなかったことや舞台では語られていないこと、「そういうことか…!」という発見がたくさんありました。

というわけで今回は、戯曲本と舞台本編と実際の歴史を照らし合わせながら、タイトル通り神州無頼街のことをひたすら考えていきたいと思います!

 

オタク楽しい〜〜〜!

アドレナリンドバドバ!

 

ではトピックに分けていろいろ考えていきますよ〜〜

あ、戯曲本の内容にかなり触れてるので、そのつもりでお願いします!そしてみんな買ってね!通販もあるよ!

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●まるまるカットになった冒頭

 

これね!時間などの関係で泣く泣くカットになったそうなんですけど、これ舞台でも見てみたかったな~

簡単に説明すると、

釣りをしている永流と、そこをぶらぶら通りかかった草臥。永流が釣り上げたのはなんと女性の“腕”。その手に握られていた竹筒には、血文字で“だかつ”と書かれた布が入っていた。その後なんだかんだあり、“だかつ”という人物が親分衆を集めて宴を催しているとの情報を得た永流と草臥は、嫌な予感がしてその現場に向かった────

みたいな感じで舞台の冒頭シーンに繋がるわけです。次郎長親分の快気祝いではなく蛇蝎主催の宴なので、草臥さんがペラペラ喋りながら案内するあの愉快なシーンはなく、元々は千之助が案内役だったんですね。

この部分も込みでフルで見てみたかった気持ちもありつつ、舞台での草臥さんと大政さんのやり取りも好きなんですよね~~「でも親分さんたち喜んでたでしょぉ~~?」「まあ……」ここカワイイ……なんだかんだ仲良いですよね。漫才コンビとか組めそう。

 

あと舞台を観る限りだと永流は草臥さんのことなんとなく顔は見たことある程度かなと思ってたんですが、意外としっかり名前も知ってる(“草臥さん”呼びしてる!)し、それどころか怪我の治療もしてるんですよ!しかも顔!ただでさえあんな綺麗な顔面のお医者さんが治療してくれるだけでドキドキしてしまうのに、顔だって!?必然的に顔と顔が近くなるやん??そうなるともう何かが始まってしまわない!?思わずチュッって、チュッってしてしまわない!?え?何も起きてないって?草臥さんえらすぎ……

だってさ、一緒に子育てとかしてたらさ、吊り橋理論ではないけども人間の脳味噌って意外とバグが起きやすいじゃん??擬似的に夫婦みたいに過ごすことによって愛し合ってるという錯覚からいつの間にか本気の愛が生まれてると思うし、赤ん坊のことも愛し合う2人の間に生まれた子供だという気がしてきて「目元はお前似だな〜この口の大きさは俺か?」みたいな会話が普通に行われてるじゃん??これはただのオタクの妄言ではなく冷静に分析した結果ですよ、ええ。まあね、子育てに不慣れな若い男2人が支え合いながら父親やってるという事実だけで爆萌えなのでそこに愛があろうがなかろうがどっちでもいいんですよ。まあどう考えても愛はあるんですけど……いやいつからこんな話になった?今回はガチで真面目な話がしたかったのに上手くいかねえな~~~~!

 

 

●ちょっとした変更点

 

色々あるにはあるんですけど、そんな中で私が気になったのはオープニング前の永流と草臥の会話。「“草臥様”と呼んでくれ」と言われて素直に呼んじゃう永流、カワイイな!?純粋すぎるのか呼び方なんてどうでもいいと思ってるのかわからないけども、舞台の方とは対照的な反応ですよね。

舞台の方の永流さ、「“草臥くん”と呼んでくれ」で涙目になるのなに??俺は呼び捨てでいいって言ったのに呼び捨てさせてくれないの…?グスッってことじゃん??あんなにクールぶってたのにもうその時点で『ながる は なかまになりたそうに こちらをみている』状態じゃん??そんな子犬のような目で見られて草臥さんほっとけるわけなくない??そもそも「その“先生”はやめてくれ」って言ってますけど他の人たちはみんな“先生”呼びしてますが??突っ込みたいところありすぎるよ永流~~~~

というか別に“草臥くん”でもよくないですか?仲間といえば呼び捨てで呼び合うものだろ!みたいな固定観念がもういかにも友達いない歴=年齢って感じでめちゃくちゃ愛おしいですね……

 

 

●永流と次郎長親分の関係

 

この2人の繋がりって、舞台を見た限りでは永流にとって次郎長親分が「親代わり」であること、怪我を負った親分を治療したことがきっかけで永流が医者になったこと、くらいの情報しかないわけですよ。親代わりって言っても具体的にどういうふうに世話になったのかまではわからないし。

戯曲本を読んで一番すっきりしたのはこの部分かもしれないです。まず一つは、永流と親分の出会いは10年前だということ。これ舞台では明言されてないですよね?そして治療をきっかけに永流を気に入った親分は永流の後見人となり、清水湊で医者として生きられるよう手助けをしたと。なるほど!それは間違いなく親代わりですね。

あと「お前、まさか……」「……はい」のやり取りに関しても、舞台を観ただけだと「お前、まさか(行くのか…?)」くらいに捉えてたんですけどそうではなく。次郎長親分が永流の過去(父親とともに大陸から渡ってきて置き去りにされた)を知っていたから、「お前、まさか(蛇蝎が父親だと…?それを確かめに行くというのか?)」「……はい」くらいの意味合いがあの短いやり取りにはあったのかな…と戯曲本を読んで思いました。それだけ通じ合っているけれど、でも親分は永流に殺し屋の血が流れてることは知らなかったんですよね。親代わりとはいえ全てを話したわけではなかったんだなあ。

 

 

●時系列について

 

あの世界での出来事を年表にまとめたものがほしいな~~と思ってたので、確定した部分プラス予想できる範囲で自分なりに軽くまとめてみました。

 

1855〜1856年
(11〜12年前)
永流&永流父、大陸から渡ってくる。琉球→九州→京へ

永流が父親と旅をしていた期間は1〜2年くらいか。ここで殺しの技を教え込まれたんですね。

?年〜1857年

(10年以上前?)

御庭番箒衆の若頭であった草臥(奧森奏之進)が逃亡。
その後、口出し屋として清水湊で生活を始める。 

逃亡から清水湊にたどり着くまでにどのくらいの時間が経ったのかは謎。

永流の話からすると「医者として暮らしだした時、やっと俺は毎日が楽しいって思えた。〜中略〜 そういう見本もいたしね」とあるので、永流が医者を始めた時には既に“口出し屋の草臥”が存在していたということでいいのか?

1857年
(10年前)

永流&永流父は京の都に入り、永流父が不意にいなくなる。

永流父はミカド暗殺へ。御影童子であった蛇蝎との戦いの末、命を落とすが「麗波」として生まれ変わる。

 

永流は1人で旅をする中、怪我を負った次郎長親分と出会い治療をする。
これをきっかけに次郎長親分は永流の後見人となり、永流は清水湊で町医者を始める。

ここは確定。

10年前に永流はまだ子供でもあり医者を始められるような年齢でもあったと……時代的なことを考えると今で言う小学校高学年~中学生くらいか?だとしたら永流は20代前半くらいの設定なのかな?

1960年頃?

商家の娘だった揚羽が宮中に奉公することに。

千之介&百千代とともに逃亡するも見つかり絶体絶命。蛇蝎と麗波に助けられる。

これについては後ほど詳しく語ります。


現実の歴史と照らし合わせることで答えが見えてきました。

揚羽ちゃんは凶介よりも早く身堂一家の一員になっていたんですね。

1857年~1866年のどこか

 身堂一家が新たな街『無頼の宿』を作る。

甚五が調査に向かった時には既に今の場所に蛇蝎の屋敷が存在していたわけなので、少なくとも半年以上は前のことですね。

1866年秋頃
(半年前)

御庭番箒衆に200年ぶりのお役目が来る。甚五が蛇蝎の元へ調査に向かうが音沙汰なし。

甚五は操り蟲により操られ、蛇蝎一家の「凶介」となる。

これも確定。

甚五は10年以上もの間、周りからの期待をひとり背負い続けていたかもしれないんだな……

1867年春 物語の始まり。 永流&草臥の最強バディ誕生!

 

もうちょっと詳しく見ていきましょう!まず年齢ですよ。永流・草臥・揚羽の3人の年齢さえわかればもっと掴めそうですよね。

江戸時代の成人年齢を調べると、諸説ありますが男性は15歳頃、女性は14歳前後とのことです。そして10歳頃にはもう働きに出ていくのが一般的だとか。

 

まず永流。上のことを踏まえると10年前の段階で10代前半くらいなのかな~という感じですかね。江戸時代の医者は名乗れば誰でもなれたと言われていますが、そんな若い子が医者をやっててもなかなか信頼してもらうのは難しそう。そこは次郎長親分の身内だし腕も確かだしということで、今のポジションを獲得していったのかな。

そもそも清水湊に来てすぐに医者を始めたのか?というのもありますが、永流の説明では「~略~医者を始めることができた。それが10年前だ」とあるので、10年前には町医者を始めてたっぽいんですよね。次郎長親分がよほど上手いこと援助してくれたんだろうなあ。

そんな感じで、私の予想としては永流は22~23歳くらいの設定かな~と。その辺りに触れられているインタビューなどもし知ってましたら教えていただけると嬉しいです…!

 

草臥さんについては、某雑誌で中島かずきさんが「永流より人生としては少しだけ先輩」と表現してます。“少しだけ”ということは福士くんと宮野さんほどは離れてなさそうですよね。離れてても5歳以内くらいかな~ということと、おそらく10年以上前に既に若頭としての役目を背負っていたということを考えると、26~27歳くらいではないかと予想します。

そうなってくると甚五も同じくらいか1~2歳くらい下なのかな。他のくの一たちもそのくらいな気がする。

 

揚羽ちゃんは難しいな~~清水葉月さんが31歳ということにも驚いたんですが(福士くんより年上!)(ステージ上の姿しか知らなかったので……普段はゆるふわ美女やないですか……)、ぱっと見だけだと揚羽ちゃんは16~17歳くらいかなと思ってたんですよ。あの小生意気さとあんなどぎついピンクが似合う辺りまだ10代かな~と。

政略結婚の替え玉にさせられそうになったのはいつ頃なのか?とにかく調べました。これも実際の歴史準拠だったりするのだろうか…と 。時期的にこの時の徳川家というと、14代将軍・家茂(1858年~1866年)もしくは15代将軍・慶喜(1866年~1867年)のどちらか。ふたりの経歴について調べてみると、なんと家茂は孝明天皇の妹と結婚してるじゃありませんか…!

こ れ だ !!!

めちゃくちゃガッツポーズしましたよ。しかもその妹・親子内親王は元々は他の人と婚約してたそうで、公武合体構想による政略結婚を最初は辞退していたとのこと。まんまじゃん!!!なるほど~~~!知ってたけどさ、改めて中島かずきさんってとんでもなくすごい方なんだな……頭の中にどれだけの知識が詰まってるんだろう。

この辺りの経緯はかなり細かく出てきました。結婚を辞退していたのが1858~60年頃、そして仕方なく折れて嫁ぐことを承諾し、色々とゴタゴタした後1862年に婚礼が行われたそうです。替え玉の話が上がってきたのは1860年頃かな?親子内親王はこの時13~14歳であることから、替え玉の揚羽ちゃんもこのくらいだったのではないかと思われますね。つまり、物語の舞台である1867年時点では20~21歳くらい?思ったより大人だった!永流よりは年下ってところかな?実際の歴史と関わりがあるので揚羽ちゃんの年齢だけはほぼ正解だと思いますが、他は正直自信ないです!

これが合ってたとして、揚羽ちゃんが身堂一家の娘になって7年も経ってたってことになるのか。そりゃ蛇蝎と麗波への気持ちだって大きいだろうし、6年ずっと一人娘だったところに後から兄が増えたらそりゃいい気はしないだろうなあ。凶介に生意気な口聞くのもわかる~~「殺せる!?私を!!親父様たちに無断で!?」に凶介が気圧されてたのもわかる~~

掘り下げてみれば納得できることばっかり!すごい!

こういうの知らなくてもエンタメとして十分楽しめる舞台ではありますが、知れば知るほど理解が深まるし解釈も広がるし、役者でもないのに必要以上に掘り下げがちな私のようなオタクはめちゃくちゃ楽しい〜〜〜〜〜

 

ここではあくまで時系列・年齢についての掘り下げにしておきますが、人物についてのもっと深い掘り下げは次回にしようと思ってます!

 

 

●清水湊から無頼の宿まで歩いてどのくらい?

 

これね、どうでもいいって思いました??確かに内容に関わる部分ではないですからね。ただ、わかります??永流&草臥がどれだけの時間2人で歩いたのか、2人でいくつの夜を越えたのか(言い方)、オタクにとっては決してどうでもよくはないんですよね。というわけで。

まずは清水湊ってどこ?って話ですけど、今の「清水港」とは少し違ってるそうなんですよ。「湊」はもともと人が多く集まる場所という意味であって、それイコール貿易が盛んで船着場のある場所ということで今で言う「港」に変化していったそうで。ということは、清水で人が多く集まる場所ということですね。

そして永流&草臥の旅の始まりである料亭の場所ですが、戯曲本では「興津の宿」にあると出てきました。興津というと、現在ではJR清水駅の隣駅。この辺りも清水湊の一部なんですね。

 

そして無頼の宿の場所について。富士の裾野って言っても範囲が広すぎるしな〜〜そもそも裾野ってどこまでなんだろう……みたいなことを調べたりもしてたんですが、なんと戯曲本に答えがありました!「西湖の近く」だそうです!西湖というと、富士五湖の一つ。つまり……静岡じゃないんかい!全力で突っ込んじゃったよ……これはまさかでしたね。ロゼシアターは富士の裾野だけど無頼の宿からは遠かった!

 

ではそれぞれの場所が出揃ったので、早速グーグルマップさんで見てみました。今回は仮に出発点を興津駅、そして西湖の近くにあった『西湖いやしの里根場』という施設を到着点に設定しました。無頼街は「いやし」とはかけ離れてますが……

徒歩だとどのくらいかかるのでしょうか…!

14時間7分(65.1㎞)!!

思ったより近かった!2日くらいかかるかと思ってました。

まあこれはあくまで休憩せず同じペースで歩いた場合の時間ですし、道も今ほど整備されてないのでこれよりはだいぶ時間がかかると思いますけどね!調べといてあれですがあんまり参考にはならないですね!

 

まあ一応いろいろ踏まえて考えてみましょうか。2人が出発したのが満月の夜。あれはあくまで満月を見せるための演出とも言えますし、もしかしたら一回家に帰って準備して次の日の朝に出発してる可能性もありますが、そんなことはわからんのでもう夜に出発したものとします。あの2人は思い立ったら即行動しそうだしな!

とはいえ夜なので、数時間歩いたところで一旦宿に泊まるか…となりますよね。

仮に道程にある旅館を中継地にしてみました。ちなみにかかる時間としては、表示される1.5倍くらいのつもりで考えてます。なのでまあ2時間ちょいくらいですかね。

ここで1日目は終了。

残り58.6キロ!

では2日目、出発!

途中で休憩も挟みつつ、富士宮あたりまでかな〜宿に泊まろう!今回も仮の中継地です。

というわけで、2日目が終了。ここまでは割と街中なので歩きやすそう。ここからが問題ですよ。

残り37.6キロ!

3日目、出発!もう少し…!とはいえ山道で大変そうだ……

ここで3日目は終了かな。

無頼街に到着したのはまだ昼だったので(「夜更けまで時間を潰さなきゃなんねえ」というセリフから)、あともう少しだけど宿に泊まります。この辺りは山の中なのでもしかしたら野宿だったかもしれませんね。

残り14.4キロ!では4日目、出発!

到着!おめでとう!

朝出発したら昼過ぎには到着できる計算ですね。66キロも歩いてここが無頼の宿か〜随分賑やかな場所だな〜〜とか平然と言ってる2人、もう既に只者じゃない。

 

というわけで、清水湊から無頼の宿まで無理なく歩いて行くと、だいたい3日くらいかかるのではないでしょうか!どうかな!まあ彼らは夜出発してますからね。この計算だと3回ほど共に夜を越えてるわけですね。オッケーです!無頼街に着いた時にはもう既にちょっと仲よかったもんな、納得!

しかしこれだけずっと2人きりで旅をしていて、過去の話とかはまだこの段階ではしてなかったんだよなあ。その辺りは大人というか、お互い過去に抱えてるものがあって踏み込まれたくないものを持ってるので、自分からも他人にはあえて深く踏み込まないのかな……とか思いました。相手のことを聞いたのなら自分のことも話さなきゃいけないしね。

じゃあさ〜〜〜道中ずっと2人は何話してたの〜〜〜〜??って話ですよ。おばちゃんに教えてみ??草臥さんが1人でペラペラ話してたんかな?清水湊に住む人たちのおもしろ話とかいろいろ持ってそう。決して楽しい目的ではないのに、オープニング見る限り2人ともけっこう楽しそうに旅してるのもカワイイ。そういうところが“陽”なんだよな〜〜

 

 

●草臥は死を覚悟していた

 

お銑さんとともに次郎長親分のところに応援を頼みに行ったシーンですね。ここさ、親分に歯向かって「死にてえか、口出し屋!」「上等じゃねえか。お銑さん、棺桶持ってこい!!」ってお銑さんを呼ぶじゃないですか。舞台を見ただけだと、あの段階でもう親分を言いくるめる算段ができてたからお銑さんを呼んだのかと思ってたんですよ。でもどうやらそうではなかったらしい。お銑さんの言葉…舞台では歌ですが、それを聞いて閃いたとの描写がありました。だから歌に参加するのが途中からなんですね〜

永流との約束が守れないのなら、惜しい命じゃない。やるんならさっさとやれ。これ、本音だったのか……それだけの覚悟を持って出向いていたんだなあ。たくさん逃げて裏切ったりもしてきたけど、ここぞという時の自分の気持ちだけには嘘をつかない。そうやって生きてきた草臥さんだからこそ、ここで気持ちを曲げることなく命をかけられたのだろうし、親分を説得できたのだろうなあ。

人の値打ちは棺桶で決まる

めちゃくちゃ深い言葉だと思います。自分が死んだ時にどれだけの人が悼んでくれるのか。いい人生だった…と笑えるか。それは今までどうやって生きてきたかで決まるんですよね。

新たな命の誕生、そして“終の棲家”である棺桶。作中に色んな対比がありますが、これもまたその一つ。本当に面白いなあ。

 

お銑さんの言葉って決して徳が高いわけではないけども、すごく力があって人生経験からくる説得力があるんですよね。

草臥さんとお銑さんの2人、損得勘定の仕方とか銭に関してがめついところとか、結構似てるな〜と思います。

 

 

●赤ん坊はどこから来た?

 

愛し合う2人の元にコウノトリが運んできたに決まってんだろ!

と言いたいところなんですけど、これ戯曲本を読んであれ??となったところがあったんですよ。それは最初の登場人物紹介。そこに気になる人物を見つけました。

子持ちの女

違和感ありませんか?戯曲本持ってる方はわかると思うんですけど、名前のある役以外は『清水湊の人々』『無頼の宿の人々』のようにまとめられてるんですよ。確かに『子持ちの女』は無頼の宿に到着したばかりのシーンで登場してたしセリフもありましたが、ほんの少しですよ。他の無頼の宿の人々と変わらない扱いでもいいのに、一人だけ特別扱い。ここに意味を感じてしまっているオタクです。

あの女性、博打で負けて銭がなくなり赤ん坊を賭けようとしてたような人ですよ。街が燃える中、赤ん坊を打ち捨てて逃げたって何ら不思議はない。そう、あの赤ん坊は『子持ちの女』が背負っていた子なのではないかと思ってます。舞台を見ただけではそこまでたどり着けなかったかもしれないな〜戯曲本を読んでからその意味深さに気づきました。本当の答えはわからないけれど、もしかしたら…と考える余地を残してくれているところも好きですね。

 

それにしても、いろんな“家族”が登場するなあ。私がこの作品でキーワードを3つだけ挙げるとしたら、「」「棺桶」「家族」ですね。この辺りの話は次回にしたいと思ってます。

 

 

今回はこんなところですかね。あくまで戯曲本を読んでの気づきだとか解像度が上がった部分について語ったり分析したりしてみました。読んでくれた方がどう思ったかはわかりませんが、私は最高に楽しかったです!実は書き始めたのは静岡公演前だったんですけど、納得できるまでとにかく調べて考えないと気が済まないオタクなのでめちゃくちゃ時間がかかってしまいました。

 

 

そして東京公演まであと少し。というか、2日後!!???

え!!??!?!?

まだもう暫くあるな〜〜〜〜とか思って余裕ぶっこいてました。まだ月髑髏も見返せてないし蛮幽鬼もシレンとラギも見れてないです!公演期間中には絶対見るぞ…!

 

東京公演、一人でも多くの人に見てもらえますように。ライビュもあるよ!

 

というわけで、ここまで読んでくださってありがとうございました!