アニメうらみちお兄さん、2話も安定でおもしろかったな~~
この前もちょっと話したけどメンタル無敵モードね、ほんとあれ何なんだろうな……あの束の間の輝き……同世代なだけあってうらみちお兄さんの何から何までわかりすぎて怖い……
壊滅的に不足しているバイタリティとか……何かに本気になったり誰かと張り合ったり、そういう若い頃みなぎっていたものが気付けばごっそり抜け落ちていることに気付いた瞬間の絶望感ね。体力とかは意外と大丈夫なんだけど、私の場合はその年々失われていくバイタリティにより歳を感じるよね……
そうそう、先日とある気づきを得たのでその話をしますね。
うらみちお兄さんという作品は、大人だからこそ共感したりついクスッと笑ってしまったりできる、言ってみれば大人向けの作品だとは思うんですよ。若い子たちも、大人ってそうなんだ~~とかまだ自分にはその感覚はないなあとか、それでも違った感覚で楽しめるとは思いますが、本当の意味で理解して楽しむことができるのは、お兄さんたちと同世代のアラサーかそれ以上の大人だけだろうなあと思ってて。それはDream onという楽曲もそうですよね。大人だからグッときたりノスタルジーに浸ったりできる。
ただ、たとえば今まだ学生の子が10年20年先に再びうらみちお兄さんに出会ったり、ふとDream onを聴いたりしたとします。そうすると、ああ…あの時大人たちが言ってたのはこういうことだったのか…とか、最初に出会った学生の時とは違った目線で見ることができるわけじゃないですか。
1つの作品を、時を経てまた違った感覚で楽しむことができる。それは既に大人になった私たちには持ち得ない、若者だけの特権なんですよ…!
だから今学生だというみんな、大人あるあるを理解できないことに嘆かなくていいし、本当の意味で楽しめてない…と悲観する必要は全くないです!
というのもね、私がまさに今それを感じてる最中なんですよ。最近この話ばっかりしてるんですが、今スタドラを見てるんです。10年以上の時を経て、私が宮野さんと出会った作品であり一番特別な作品であるスタドラに再び出会って。全話見終わったので改めて感想は書こうと思いますが、とにかくね……キラキラしてるんですよ。出会った当時は私もタクトくんたちとそう年齢も離れていない頃でした。そして今、社会に揉まれてアラサーとなり。あの時の感覚が蘇るとともに、あの時とは違う感覚で作品を見ている自分がいました。
さっきバイタリティの話をしましたが、もうね、溢れまくってる!作中では「リビドー」という言葉が使われてましたね。そこには今や私からは失われてしまったものが全部詰まってたんです。楽しいシーンなのに胸が締め付けられたり、切ない気持ちになったり。この「青春」という刹那的なものにどうしようもなく美しさを感じてしまう。これは私にしかわからない感覚だとは思いますが、宮野さんのBeautiful Nightを聴いている時の感覚もかなりこれに近いです。
話が長くなってしまいましたが、今まだ若いみんな、大好きな作品に10年後再び出会ってみるときっと新たに見えてくるものがあるはず!そしてそうやって時を経ることで違った目線で楽しめるようになる作品って素晴らしいよね!って話でした。
私も10年後、まだまだ楽しくオタクやってたいな…!
では、最後に返信コーナーいきます!
ありがとうございます!
記事の共有についてですが、ご自由にどうぞ~
誰でも読める状態で既に世に出したものについては、それがどこでどう言われていようが何も文句は言えないですし、もし拡散されて何か大変なことになったとしても全て私の責任だと思ってますので。ツイッターにしてもブログにしても、常にそういう意識で発言しなきゃいけないなと思ってます!話がずれましたね…
つまりは「いいよ!」ってことです!
http://mgyn19.hatenablog.com/entry/2021/07/14/015125
↑ここでの質問へのメッセージですね!ありがとうございます!
私はもうどこでも「宮野さん」ですが、確かにこの人の前ではこういう呼び方で…みたいなのもありますよね!
雅マモルくんについては、「雅くん」です。やっぱりどうしても宮野さんではあるのでなんとなく呼び捨ては抵抗があり…かといって「雅さん」はさすがにおかしいので、結果「雅くん」ですね。まあでも、やっぱりアイドルと言えば“くん”付けですよね!
というわけで、今回は終わります!
ここまで読んでいただきありがとうございました!